「あなたはうつ病です。」と医師から診断を受けた。
正直、自分がうつ病になるとは思ってもみなかった。体力には自信があったし、人付き合いもそれなりにできていると思っていた。
何よりも、自分が大人になってからいじめの被害に合うとは思ってもみなかった。この一件で私の人生が大きく変わった。そして、うつ病と診断されて、改めて人間は脆いものだと実感した。
私がうつ病だと診断されたのは働き始めて四年目の夏のことだった。やりたかった仕事ができる喜びと早く活躍したい一心で一生懸命働いた。その結果、三年目の終わりに大きなプロジェクトを任せてもらえるようになった。
しかしながら、新人が一人でこの仕事を任せてもらえるはずもなく、私のサポートとして転職したばかりの先輩社員がついてくれることになった。この出来事がうつ病になる原因だとはこの時の私は知る由もなかった。
先輩社員と新規プロジェクトの顔合わせを行なった。これまで、先輩社員と会話をしたことがなかった。そのため、これが彼とのファーストコンタクトであった。第一印象は、気さくで優しそうな方というものだった。
「分からないことがあったら何でも聞いて、一緒に良いものをつくろう!」と笑ってくれた。
この言葉に勇気づけられ、初めての挑戦で不安になっていた気持ちを払拭してもらった。
しかし、現実は違っていた。
「こんなこともできないって終わっている。三年間何をしてきたの?」
「こんな仕事でよくも給料が貰えるね。早く辞めた方がいいよ。」
「お前って何ができるの、生きている価値ってある?」
二人きりになると必ず暴言を言われるようになった。会議をしても、話し合いの半分以上は人格を否定する内容だった。そして、仕事の進捗にも影響が出始め、部長にも怒られるという二重苦が完成した。
こんな苦しい日々が続こうとも、周りの仲間(同期・先輩・後輩)は側にいてくれると思っていた。
しかし、先輩社員が周りの社員に対して「あいつの成長のためにも関わらないでください。」と言っていた。
加えて、根も葉もない噂話や無能というレッテルが社内で広がっていた。結果、誰も私に関わってくれなくなっていた。周りの人に相談しても、無視をされるか、〇〇さん(先輩社員)に聞いた方がいいと言われるだけだった。
いつしか私は独りぼっちになっていた。
明日が来るのが怖かった。明日が来たら、また酷い言葉で傷つけられて、孤独という現実を突きつけられてしまうから。それでもせっかく与えてもらったチャンスを無駄にしたくない、夢だった仕事をあきらめたくないという思いで頑張った。
しかし、その頑張りは長く続かなかった。私は最寄り駅で倒れてしまったらしい。気がつくと病院にいた。その後、母と一緒に診察を受け「うつ病」と診断された。私の心はとっくに限界を迎えていたのだ。
うつ病との闘病生活は辛いものだった。身体は思うように動かせず、一日中布団の中で過ごす生活を送るようになった。先輩社員の酷い言葉や仲間だと思っていた人に裏切られた事実がフラッシュバックしてしまい、過呼吸や自暴自棄になってしまった。そして、誰もが私のことを馬鹿にしているのだと思い込むようになり、自ら人と関わることを辞めた。
こんな生活が続いたある日のこと。
『自分は無価値な人間なのだから、生きている意味はない』と思い、私は最悪な手段を選択してしまった。覚悟を決め、窓に身を半分乗り出した。地面のアスファルトを見た瞬間、我に返ると同時に今まで感じたことのない恐怖を覚えた。自ら命を絶って楽になりたいと思っても、本心では「生きたい」と強く願っていた。
次の週に病院でカウンセリングを受けることにした。始めは何を話していいのか分からなかった。ひいては、考えがまとまらず、上手く言葉に出せなかった。人と話すことが大好きだった私が、今では人と話すことが怖くなっていた。自分のこの姿に自己嫌悪になってしまった。そのためか、最初に出た言葉は「ごめんなさい」だった。
この言葉に対して、「ゆっくりで大丈夫だから、思っていることを全部話して」とカウンセリングの先生は、私が話し始めるのを待ってくれた。
私はゆっくりと『先輩社員の悪口が辛かったこと』、『社内で孤立しており寂しかったこと』、『自暴自棄になり自殺を考えたこと』などを絞り出して伝えた。カウンセリングの先生は「それでもあなたはこうして生きている。あなたの決断は何一つ間違ってはいない。」と言ってくれた。
よく聞く典型的な言葉であったが、初めて自分を肯定してもらえた気がしてとても嬉しかった。
その後、通院とカウンセリング、薬を飲むことで落ち着きを取り戻していった。そのおかげか、徐々に家族とも会話ができるようになっていった。久しぶりに家族で食卓を囲んだ。今までは仕事に夢中になり、家族との時間を蔑ろにしていたと気付かされた。家族と一緒に食べる食事がこんなにも幸せな時間なのだと改めて実感した。
食事が終わり、母と居間で二人きりになった。気まずい沈黙の中、母から「もう大丈夫。大丈夫だから。あんたが全力を出して挑戦したことは私にとっても誇らしいことだから。失敗したって思わなくていい、これからの人生で必ず役に立つ日がくる。だから人生をあきらめないで。
そして、生きていてくれてありがとう。」と温かく優しい言葉をかけてもらった。私は、やはり母は偉大な存在であると思った。そして、『自分は生きていてもいい存在なんだ』と教えてもらった。
現在、うつ病と診断されてから一年半が経過した、周りの人々のおかげで徐々にうつ病やいじめの辛い思い出を克服し始めている。
そして、私はフリースクールで学校に行きたくても精神的な問題で通えない子供達の支えとして働いている。自分が経験したことを踏まえた上で、子供達には幸せに生きて欲しいと考えている。
最後に、この文章を読んでいる人々に伝えたいことがある。
「あなたは、あなたが発した言葉に対して責任を持っていますか?」
私は、先輩社員の酷い言葉の力によってうつ病を発症し、人生が大きく変わってしまった。しかし、家族やカウンセリングの先生の温かい言葉の力で、今も生きている。
うつ病やいじめを受けた傷はそう簡単に治るものではない。あなたの酷い言葉で人生を大きく変えられてしまう人もいる。一方、あなたが温かい言葉を伝えれば助かる命もあることを知って欲しい。
一人ひとりが言葉の力を理解することでいじめを減少できると私は信じている。 |